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きまぐれ英雄♪[英雄ブログ]  
詳細/おすすめ(3137/0) | ソーシャルブックマーク(0)  2008/11/12 11:26

 

狩り嫌々病という難病と戦っている天ですp@へ@q

 

 

 

黒豚のDちゃが、いつもどうり、市場でぶ〜らぶらしてました♪

 

と、そこへ響ちゃからの任務が!@@>

 

黒豚の市場担当Dちゃから狩り場担当のコンへ任務を引き継ぎ、いざ!出動!!!!

 

毎晩、西上では梵ちゃの昭和の香り漂う魅惑のショータイム

が繰り広げられてる訳でして♪

 

梵ちゃは西ボスの晩飯のおかずにされているので、付き添いが必要なんです(yy

 

響ちゃが落ちる頃には、梵ちゃがぐずり出しましてぇ〜

 

ちょっと狩り場離れると梵ちゃが叫びだすようでして(*ノノ

 

すったもんだの末、心優しき響ちゃは1晩お守りと言う事で話しはまとまりまして(*ノノ

 

響ちゃが寝てまもなく、がんばりたい様からの門ちゃで市場へ行ってみると、

 

なんと お歳暮 いただいちゃいました♪(そろそろお歳暮のシーズンですね)

 

印とか使った事無いんですよね〜。

だって期間限定の経験値アップとかイベントでもらったの使った事あるけど、

そういうの使うと、狩り狩り中毒になって疲れちゃうしぃ〜 

マッタリ遊びたいけど、頑張らねばならなくなってしまったよ(*ノノ

最近は烈火も使わなくなってて、完全にナチュラルな状態で狩りしてたYO

(80後半までは西上でいいかな〜と思ってたので)

がんばりたい様のそばにいると、やはりがんばるようになっていくのね(*ノノ

梵ちゃ相手にサボってたのバレタか(−y−

 

黒豚のRぅさんと同じ狩り場で遊べるようになったから、これから修練できるね♪

Rぅさんのボス狩りの援護出来る程度にはレベ上げなくてはp><q

 

 

早速、曲で腕試しp@へ@q

 

そしてラサへ・・・

ラマ女は曲熊より軟らかかったよ^−^b

 

梵ちゃのお姐さまは、むか〜しむかし、ラサで大暴れしてたのにねぇ(−y−  …それに比べて弟は(ボソ

梵ちゃはお姐さまに比べて随分甘えん坊さんなのよね(^y^

 

↓そのレベで・・・

 

 

強い強い!まぁ想像どうり、西ボス並みでして・・・1匹ならなんとかいけたけど、2匹目で・・・(−人−

西ボスギリギリ倒せるステだし(*ノノ

 

3〜4回(−人−)してから、ようやく気が済んだので市場へGO!

 

なんと黒腕輪+5玉が68mで売ってたので、梵ちゃに教えたら、

「お金かちてーw」と・・・

天の借金返し終わって、また借金ですか♪

梵ちゃはお姐さんと一緒で返すの早いしぃ〜100m200mはあっという間でしょ♪

完済してはまた借金…そして廃への道まっしぐら(−y−  ウフフ(計画どうりね・・・)

 

 

    ついでに

 

あと2%でレベアップだったメインを、一応上げておきました。

シカ爪+3買って試そうとしてて、2週間くらい忘れてた(*ノノ

 

 

    妻がこわい

 

妻が怖いでおなじみ(天のブログだけ)、とある邪の門主さま♪

 

 

 

 

 

 

       おまけ

 

ラサであそんできたので、リアルラサなど動画でいかがでしょう^−^b

 

チベット仏教の聖地・ラサ(世界遺産)。修行に励む若い僧たちの 信仰の息吹に触れます。

 

名称

チベット語「ラ(lha)」は神(デーヴァまたは仏、または王)を、「サ(sa)」は土地を意味し、すなわち「神の地」を意味する。吐蕃時代の唐の文献には邏娑あるい邏些の名で記される。

一年を通じ晴天が多い事から「太陽のラサ (nyi ma lha sa)」とも呼ばれる。

古い日本語資料では「ラッサ」という表記も見られた。

 

由来

7世紀初頭までは「ラサ(ra sa)」(ヤギ(ra)の地)とも書かれ、従って後代に成立したラサの建都伝説では、池を埋め立てる石を運ぶのにヤギを用いた、という物語が付加されている。

 

歴史

7世紀前半にチベットを統一した吐蕃王朝第33代ソンツェン・ガンポによりチベットの都と定められ、641年には中国の公主(唐王室の皇族女性)がチベットのツェンポ(王)の妃として迎えられた。伝承では、このときネパール王女も同時に妃に迎えられ、二人がもたらした仏像を本尊として納めるため、トゥルナン寺、ラモチェ寺が建立され、市街形成の核となったとされる。

9世紀の吐蕃王朝の崩壊以後、チベットの政治的中心は、時期ごとの覇者たちの所在地を転々としたが、宗教的中心地としての地位は不動であった。1414年にはラサ三大寺の筆頭ガンデン寺の建立をかわぎりにゲルク派の本拠地となり、17世紀中期には熱心なダライ・ラマの信者であったオイラト・ホショト部のグシ・ハンがチベットの大部分を征服したことをきっかけとして、ダライ・ラマの宗派を超えた宗教上の最高権威としての地位が確立され、諸宗派に対するゲルク派の優位、とりわけモンゴルにおけるゲルク派の優勢が決定的となった。この結果、ラサは再びチベット全域の政治的、経済的、文化的中枢の地位を獲得しただけでなく、チベット人、モンゴル人、満州人などから構成されるチベット仏教文化圏の中心ともなった。

 

  今のチベットの人達はいろいろ大変なようなので、頑張って欲しいものです。

 

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