地震の影響とかではなく。
昨年の秋頃から肺がんと診断され、自宅で抗がん剤とかもなしに療養していました。
6月に入って急に体調を崩し入院していたのですが、20日も経たずにそのまま息を引き取りました。
86歳だったそうな。
昨日は午前中から家族3人(姉は海外)で病院に行ったら、叔父や一番おばあちゃんのお世話をしていた従姉(いとこ)、そしておばあちゃんの姉妹(上は89歳なのにまだまだ元気)がいました。
叔父が父を呼んで二人で話しに病室を離れたので、今夜が峠なのだというのはうすうす感じてた。
しばらくして小康状態・・・というか心拍や血圧が徐々に下がっているのはわかってはいたものの、何もできないのはみな同じ。
おばあちゃんのお姉さん「できることなら最後の時まで居てあげたいけど、(帰りの新幹線や病院の都合で)そうもいかないしねぇ。。」
少しして母の用事のため僕と母だけいったん帰宅、おばあちゃんの容態がはっきりしないため、その日はあとで父を迎えに行き、帰る算段でした。
「18:30に(病院に迎えに)」と連絡を受け、初めて一人で病院まで(約30分)車で行きました。
駐車場に着いたのは18:25。無事一人でも着けた、と思っていたら父から電話が。
「呼吸が止まった、病室まで早く来てくれ」
急いで駆けつけると従姉と叔母がかすかに泣いて寄り添っていた。
父も無言でたたずみ、僕は何も言えなかった。
看護士が来て色々このあとどうするか話したのち、父は
「○○(僕の名)は間に合ったよ」
と寂しそうに笑いながら教えてくれました。
18:27 心停止
ちょうど病室に着いた時間だった。
その後は、従姉がおばあちゃんの服を取りに帰るのを送迎して、おばあちゃん家まで最終的にみんなで帰るなど、結局的に病院まで車で3往復したことに。
じっちゃんばっちゃんの中では一番よく話し、お世話になったので、よくわからない喪失感があり、また(まだ若葉マーク付けてる初心者ドライバーなのに)3往復もした疲労感で、昨日はストンと寝てしまいました(;´∀`)
病室に着いた直後だけ、色々と思い返し涙しそうになったものの、結局(7年前じいちゃんが亡くなった時と同じく)泣かなかった、泣けなかった。
悲しいことは悲しいけど、泣いたらとまんなそうだな、とか、泣く資格もないかな、とか、(自分の中で)何も変わらないのかな、とか考え出したらぐるぐる止まらない気がするので、ただありのままに受け入れてる。(自分でもよくわからない(苦笑)
先週の水曜日にお見舞いに行ったときはまだ(かろうじて)話せた。そして二人だけで話す時間がちょっとあった。
「悪いことばかりしてきたなぁ。(皆に対してわざわざ色々してもらって)悪いねぇ」
「そんなことないよ、みんなおばあちゃんが好きだから(お見舞いに)来てるんだよ」
「そうかねぇ」
「そうだよ、でなきゃ誰も来ないさ。愛されてるんだよ」
「○○にそう言ってもらえるとホント嬉しいよ・・・」
これが僕とおばあちゃんの最後の会話だった。
7年も待たせてごめんね、とか今頃はおじいちゃんに言ってるだろうか。
天国でまた二人仲良くしてるだろうか。
僕はもう線香をあげることしかできない。
でも線香を灯す度に何度も心でこう語りかけたい。
「お疲れ様。そして、ありがとう」
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